2011年 03月 11日
東北関東大震災 |
地震から二日目・早朝、親戚から電話があり、ひとりの叔父が行方不明と知
った。その後、宮城県からは固定電話も携帯も繋がらなくなり、情報はテレビ、
新聞、インターネットだけになった。TVニュースでは仙台市、気仙沼市、東松
島市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、いわき市などが中心で、妻の親戚が
多く住む南三陸町は全く報道されない。心配が増すばかりの妻はずっとテレ
ビに釘付けになるし、『他の小さな町も被災しているので、自衛隊は早く救助
に向うよう伝えてください!南三陸町とかも放送してください!』とNHKに抗議
のような?電話もする始末。それが功を奏したのかどうか、4~5日目ぐらい
から、同町の実況中継も見られるようになったが、
その街並みは戦争空襲後を思わせるガレキに溢れた原野に変わり果てていた。
後日放映された高台からの動画映像では、黒い大津波が次々と家屋を押し流し、
さらに内陸部まで向かっていく様子を見せ付けていた。
沿岸部はおろか、叔父がいたと思われる市街地は完全に波の下に消えた。
これで不安感は完全な絶望感に変わってしまった。
東北新幹線のみならず、JR在来線、幹線道路も寸断された状況では現地に
駆けつけることは不可能。すぐに出来る事と言えば、親戚、友人の安否情報
を求めてインターネット掲示板、ローカルコミュニティで検索したり、不明者リス
トに親戚・友人の名前の書き込むぐらい。地震後、約一週間はそんな作業に
追われる毎日。長時間のパソコン作業で花粉症に眼精疲労が重なり、かかり
つけの病院へ。初めてステロイド入りの目薬をもらう。
地震から3日目、深夜、アメリカ、ドイツ在住の友人から国際電話が入る。み
んなニュースで大地震を心配して連絡をくれたらしい。しかし寝起きの頭では
英語がすんなり出てこない(昼間でも流暢ではないけれど)。ここで親戚の話
までするとかなり面倒だと思い、「東京は大丈夫だよ」というだけにしておいた。
ご心配はありがたいけれど、もう少し時差を考えて電話して欲しいものである。
TVニュース。現地避難所からの中継で親戚(叔父とは別の方)が写ったと妻が
喜んでいた。他のニュース番組では、昔よくお世話になった気仙沼・居酒屋の
ご主人がインタビューされていた。元気そうな姿を見られ少しだけ嬉しくなった。
地震から5日目に遠い親類から聞いた話。3月11日午後、同市在住の叔父
は歯科に出かけ、治療後、帰路の車を頼むため駅前の公衆電話ボックスに入
り電話中に大地震が発生。猛烈な揺れで電話ボックスごと横倒しになった。
なんとかドアから出てみると、多くの人々が猛スピードで走り去っていく。すぐに
『至急、高台に避難するように!』という町内放送があり、叔父も皆の走る高校
目掛けて走り出した。ぎりぎり校庭に飛び込んだ後、高さ15メートル(推定)
という大津波が市街地を洗い流す様子を高台から呆然と見ていたという。
さいごになりましたが、東北関東大震災で被災された方々に心からお見舞い
を申し上げますと共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
った。その後、宮城県からは固定電話も携帯も繋がらなくなり、情報はテレビ、
新聞、インターネットだけになった。TVニュースでは仙台市、気仙沼市、東松
島市、陸前高田市、大船渡市、釜石市、いわき市などが中心で、妻の親戚が
多く住む南三陸町は全く報道されない。心配が増すばかりの妻はずっとテレ
ビに釘付けになるし、『他の小さな町も被災しているので、自衛隊は早く救助
に向うよう伝えてください!南三陸町とかも放送してください!』とNHKに抗議
のような?電話もする始末。それが功を奏したのかどうか、4~5日目ぐらい
から、同町の実況中継も見られるようになったが、
その街並みは戦争空襲後を思わせるガレキに溢れた原野に変わり果てていた。
後日放映された高台からの動画映像では、黒い大津波が次々と家屋を押し流し、
さらに内陸部まで向かっていく様子を見せ付けていた。
沿岸部はおろか、叔父がいたと思われる市街地は完全に波の下に消えた。
これで不安感は完全な絶望感に変わってしまった。
東北新幹線のみならず、JR在来線、幹線道路も寸断された状況では現地に
駆けつけることは不可能。すぐに出来る事と言えば、親戚、友人の安否情報
を求めてインターネット掲示板、ローカルコミュニティで検索したり、不明者リス
トに親戚・友人の名前の書き込むぐらい。地震後、約一週間はそんな作業に
追われる毎日。長時間のパソコン作業で花粉症に眼精疲労が重なり、かかり
つけの病院へ。初めてステロイド入りの目薬をもらう。
地震から3日目、深夜、アメリカ、ドイツ在住の友人から国際電話が入る。み
んなニュースで大地震を心配して連絡をくれたらしい。しかし寝起きの頭では
英語がすんなり出てこない(昼間でも流暢ではないけれど)。ここで親戚の話
までするとかなり面倒だと思い、「東京は大丈夫だよ」というだけにしておいた。
ご心配はありがたいけれど、もう少し時差を考えて電話して欲しいものである。
TVニュース。現地避難所からの中継で親戚(叔父とは別の方)が写ったと妻が
喜んでいた。他のニュース番組では、昔よくお世話になった気仙沼・居酒屋の
ご主人がインタビューされていた。元気そうな姿を見られ少しだけ嬉しくなった。
地震から5日目に遠い親類から聞いた話。3月11日午後、同市在住の叔父
は歯科に出かけ、治療後、帰路の車を頼むため駅前の公衆電話ボックスに入
り電話中に大地震が発生。猛烈な揺れで電話ボックスごと横倒しになった。
なんとかドアから出てみると、多くの人々が猛スピードで走り去っていく。すぐに
『至急、高台に避難するように!』という町内放送があり、叔父も皆の走る高校
目掛けて走り出した。ぎりぎり校庭に飛び込んだ後、高さ15メートル(推定)
という大津波が市街地を洗い流す様子を高台から呆然と見ていたという。
さいごになりましたが、東北関東大震災で被災された方々に心からお見舞い
を申し上げますと共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
by scanandyou
| 2011-03-11 14:26
| 分類不能
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